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1歳11ヶ月のバッハ

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結月でございます。

久しぶりにグレン・グールドが演奏するバッハのゴールドベルク変奏曲を聴いてます。

それは先週、とちテレでおもむろに流れたこの変奏曲のアリアを耳にして、YouTubeでグールドが弾くその曲をもうすぐ2歳になる愛娘シャンシャンに見せると、じっと聴き入っていたから。

やはりバッハは1歳11ヶ月で聴いても美しいんだ。

シャンシャンはお腹の中から2016年のマロオケ東京初公演のモーツァルト三昧も聴いてるからね。と言っても、まだ人間の形にはなっていない細胞分裂の頃であるけれど。

でも、思い返してあの東京初公演はすげえ演奏だった。あれは本当に奇跡だったと思う。あまりにもすごすぎて、あれを超えるにはどうすればいいかと考えると、どうしてもアイデアが出てこなくて、いくら考えてもあのモーツァルト三昧には敵わないんじゃないかって思えてしまい、どうすることもできない。

わたしはバイオリンレッスンはしても長い間、音楽を聴かないようになっている。それはやはりあのマロオケで自分が求めていたものすべてが満たされてしまったからで、どんな演奏を聴いてもあれには到底及ばないという到達感のある諦めがあるせい。

あの日の演奏を細部分裂状態とは言ってもシャンシャンに聴かせられたのは良かったと思う。あの演奏は凄まじい波動だったから、耳が形成されていなくてもその振動を感じ取っていると思う。

しかし、東京初公演を超えるようなアイデアが出たら、またマロオケのみんなでコンサートがしたい。でも、超えるというのはサウンドというよりその内容で東京初公演とは違ったものでという意味。

音は毎回すごいんだから。東京初公演は名演奏として完全無比なものとしてあってよく、コンセプトでまた完全無比なものができればいい。ただそのアイデアにまだ思いつかないだけで。

と言いつつ、ひとつだけ爆裂にぶっ飛んだ企画はあるんだけどね。ただそれはぶっ飛びすぎて、ほぼ実現不可能というもので、今から土星に行くくらいかな。月旅行は行けるかもしれないけれど。

これはとにかく、

「それは無理でしょ!」

というくらいのもので、夢物語としか思ってもらえないからほとんど人には話してないです。

さて。

これから栃木に行ったら、毎日シャンシャンには音楽を聴かせる。聴かせるというか、BGMとして1日1時間は音楽が鳴っている環境を作る。

美しいものを叩き込んでおけば、きっと大きくなったら審美眼で物事を判断できるようになる。審美眼があれば、人には騙されない。本物を見抜く力であるから。

そして、美しいものを知っていると劣悪なものに近づかなくなる。さらに音に感動することによって、魂のエネルギーが躍動する。魂が躍動するといい仕事ができるようになる。

また音だけでなく言葉も大切。

言葉こそ、この世界の意味を表しているものだから。言葉をきっちりと操れないということは世界の意味を理解できていない。

その人間がどういう人間であるかは、その人間が発する言葉で決まる。どんな言葉を選び、どんな言葉を知り、どれだけの言葉を知っているか。

もうすぐ2歳で、何やら言葉らしきものをずっと話しているから、今が一番大事な時だと思う。急速に脳の中で言葉が形成されているから、この時期に言葉を叩き込まないとね。

教育とはなぜそれをするのかっていう意味を知っておかないといけない。

親は自分ができなかったことや憧れているものを子供に習わせようとする。バレエとか、ピアノとか、お稽古事ばかり習わせる親がいる。

でもね、自分がやりたいことを子供にやらせるなよ。やりたいんだったら、お前がやれ。バレエがやりたいんだったら自分でやれよ。

つまり、自分の憧れを子供に押し付けるのは教育じゃないんだよね。それを習わせるのはどういう目的で、どういう意味があるかってことを知った上でやらないと、子供にとってただの負担と時間の無駄でしかない。

ほとんどの学校の先生だって、それを考えて教師になって教えているわけじゃない。ただ成り行きで先生になったり、何となく子供が好きとか学校が好きとかで教師になっているものばかりだから。

教育って人間の根源を考える姿勢がないとね。それがないからお受験のための学校になるわけで。

さらに日本の場合は、その学校を卒業することと社会のニーズが全然コミットしていないから、就活でもむやみやたらとやって、とりあえずどこかに採用みたいなことになる。

そんなことを考えつつ、シャンシャンが生まれる前は自分の好き勝手に生きていれば良かったのが、一人の人間の将来を責任持つ立場になって、これからは小さな子供と一緒にバッハを聴くようになりそう。

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