結月です。
「ストレス」なんて言葉が使われ出したのはそんなに古くなく、正確にはわかりませんが、わたしの感覚だと80年代後半くらいじゃないでしょうか。
小学生の頃、マセた友達が「ストレス」という言葉を使っていて、それを聞いたわたしの母は、
「ストレスって何のことやねん?」
と言っていました。
わたしもその友達に会う前は、ストレスなんて言葉は知りませんでしたから。
昔より今のほうが過ごしやすいはず!
それが今では日本中、ストレスばかりであちらこちらに、いたるところに、どこもかしこもストレスだらけで、むしろストレスがないほうが珍しい。
では、昔はストレスがないようなのどかな時代だったかと言えば、全然そうじゃない。
ズバリ言って、今のほうが断然!過ごしやすいです。
夏だってエアコンはどこでも完備されているし、満員電車でも夏は涼しい。昔の電車は天井に扇風機が付いているだけで、実に暑かった。
人間関係だって今のほうが洗練されている。昔はもっと理不尽なことが多くて、セクハラなんて言葉もないくらい女は尻を触られて当たり前だったり、映画館へ行けば痴漢は普通にいたりする。
学校では体罰はこれまた当たり前で、暴力教師も珍しくないし、先生にぶん殴られても親は自分の子供が悪いとかばいもしなかった。
街を歩けばゴミのポイ捨てのせいで汚いし、タバコの禁煙席なんてないから飲食店でも基本、タバコの煙で煙たかったし、電車に乗るときは横入りは当然。
ともかく今に比べれば昔のほうがストレスになるようなことばかりだったはずなのに、昔はストレスがなく、今のほうがストレスに溢れている。
つまり、「ストレス」という言葉を知ったからストレスが増えてしまった。
ストレスとは雑な言葉
昔はストレス状態を言語化しなかったから、辛いことでもストレスとは認識しなかったわけですね。
しかし、旧約聖書に「はじめに言葉ありき」とあるように言葉とは意味を生み出すものであり、それにより現象が生まれる。
だから、ストレスを口にすればするほどストレスは濃縮され、ますますストレスの度合いは深まるという構造になるわけです。
考えてみると「ストレス」とはとても雑な言葉で、何でもかんでも、
「カワイイ!」
でしか感嘆できない人や、何でもかんでも、
「すげえ!」
でしか感動できない人のように、つまりボキャブラリーが貧困だとそういう大枠すぎる雑な言葉でしか捉えることができない。
これと同じく、なんか疲れてる、嫌なことがあった、そんな時の心境を「ストレス」という大雑把な言葉に集約させてしまっているのですよ。
人間の心にはもっと細かい襞があるのであって、その色彩も異なる。それなのに単純にストレスでまとめてしまっている。
これは思考停止だし、自分がどういう原因で辛いのか、どうすれば解決できるかなど分析することなく、
「ストレス」
と一言でまとめてそれを検証することをしない。そのためこの世はストレスだらけになる。
ヒステリーを起こして、
「アタシはストレスが溜まってんの!!」
と怒鳴ったところでそれは解決しない。
ストレスで困っているなら、それを解消する方法や解決策を考えるべきなのにヒステリーで絶叫してしまう。
そして、自分に「ストレスが溜まってるの!!」と自己暗示をかけ続け、本当に病的になるわけです。
一番簡単なことは「ステレス」なんてつまらない言葉を使わないことであり、そういうネガティヴな言葉は自分から消し去ること。
ストレスがあるとひとから嫌われる
手前味噌ですが、わたしにはストレスがありません。
それは楽々ハッピーライフを送っているなど、そういうことは一切なく、おそらくわたしの環境は平均よりはるかに厳しいものかもしれない。
でも、わたしにストレスがないのは、自分に降りかかる様々な現象に対して「ストレス」という雑な分類をしないからで、あとはストレスがある人間はダサいと思っていて、そんな人間とは付き合いたいと思われないだろうからストレスはない人間であろうとしてるから。
だって、ストレスでピリピリ&イライラしているような人間って好かれないじゃないですか。嫌われるでしょう?普通。そんなひとと食事はしたくないし、できれば関わりたくない。
なので、ストレス人間は自分の感情をコントロールできないダサさがあるってわたしは認識していて、そんな人間になりたくないからわたしにストレスはないんです。
そして、普通ならストレスになるようなことはかなり多いですが、精神状態を安定させる術を身につけています。
あとはストレスになりそうなことは初めからやらない、そういう環境には身を置かない、そんなところでしょうか。
ただのストレスはひとを成長させない
緊張する場面を克服したり、激しいプレッシャーの中でやり遂げるとかそういうことだとひとは成長しますが、ただのストレスによってひとが成長することはないんですよ。
ただのストレスは自分を無間地獄で苦しめるだけで、成長どころの話ではありません。
とても非効率的で、時間の無駄。
しかし、環境的にストレスが生じやすい世の中では、自分の力で環境をかえることは難しい。他者を変えられることが困難なのだから、他者の集合体である社会が自分一人の力で変わるわけがありません。
環境が変わらないのであれば、自分がストレスを感じない体質に変わり、思考方法を変えてストレスがないようにするのが最も手っ取り早い。
時間をかけるべきはストレスに我慢したり、それによってヒステリーを起こすことではなく、自分を非ストレス人間に変わることに費やすべきでしょう。
自分のストレスやその環境に文句ばかり言っていても何もいいことはないのですから。
一番簡単なのは「ステレス」という雑で、ネガティヴな言葉を自分では使わないようにすること、そんな概念は自分にはないのだと思って生きることでしょう。