失われた時がどんどん甦る

結月です。

生後1年7ヶ月のシャンシャンは上野のパンダではなく、それはうちの愛娘だけれど、シャンシャンといると、自分が小さかった頃の記憶が次々と甦ってくる。

今まで記憶から失われていた風景が思い出される。

自分が0歳児だった頃の親の顔。そして親の言葉。家の中の様子。そして、シャンシャン1歳を超えたらそれに合わせて1歳の頃の記憶が甦ってくる。

もちろんそれは断片的なものとはいえ、確実に自分のもの。

今日も北関東エリアに展開している「爆弾ハンバーグ」のことをネットで調べていて、そこのハンバーグはとても美味しいのだけれど、メニューを眺めていて「キッズメニュー」があったのでクリックしてみた。

シャンシャンがいる栃木の別邸の近くには「爆弾ハンバーグ」があって、やや遠いとは言え、歩いて行ける距離にある。クルマだと10分もかからない。でも、クルマだとせっかくのハンバーグにワインを合わせられないから行くなら歩いて行く。

まだ連れて行っておらず、もう少し大きくなってからと思いながらメニューを見ていた。

すると、どこにでもあるお子様ランチがあった。

可愛らしい動物の絵が描かれたありがちな皿で、それはプラスチック製。

それを見て、わたしも随分、小さい頃、どこかのファミレスでお子様ランチを親と食べたことを思い出した。

プラスチック製のお皿は水色だった。そしてハンバーグには日の丸の国旗が爪楊枝に付けられ刺さっていた。

母が隣にいて、父が正面にいた。

食べるのが下手くそで、母がその都度食べるのを手伝っている。

いつの頃の記憶は正確ではないが、おそらく今のシャンシャンよりも少しだけ大きいくらいだろう。

とにかく、シャンシャンが生まれてからというもの、記憶が次々と甦る。

畳の上をハイハイしていたこと。そしてその視線から見た書棚。

哺乳瓶から飲むミルクが胃袋に溜まっていく感覚。

どうやら人間の脳には、すべての記憶がきっちりと刻み込まれているらしい。

痴呆症になった老人が、いきなり何十年も昔の些細なことを思い出して、嫁に嫌味を言うなんて話もある。

ともかく、小さな頃の記憶が思い出されて何かあるというわけでないけれど、あの頃があって今があることを考えると不思議な気がする。

そして、シャンシャンが大きくなったとき、わたしがシャンシャンを抱っこしたり、お絵かきを一緒にしたり、ハンバーグを食べさせていた記憶が彼女に甦るのであろうか。

記憶とは生きてきた軌跡であり、生きるということは映画のフィルムのように死ぬまで回り続けるようなものかもしれない。

つまり、生きている中で経験し、見たものがフィルムに焼き付けられていくように記憶は常に記録されていく。

そして、大昔の映画フィルムが失われていくが如く、多くの記憶は忘れ去られていく。しかし、何かの拍子に貴重なフィルムが発見されるのと同じく、小さな頃の記憶が甦るのだろう。

それでも生きていれば、今、この瞬間の風景を記憶のフィルムを焼き続ける。ついに死を迎えるとき、そのフィルムは終わる。

死後の世界は想念界だから、物質的な記憶とは異なる世界。

だから、今生の物質界でのフィルムは死とともに終わる。

この物質界に生まれてまだ2年も経っていないシャンシャンを見て、フィルムの残量の差に少し驚く。意外と自分もフィルムを使ってしまったのだなと。

これからはもっといい風景をフィルムに焼き付けたいと思う。

そんな気持ちになって、わたしは自分が無駄だと思うこと、価値を生み出さないものには時間をかけたり、お金を使ったり、手間をかけることは極端に避けるようになっている。

逆におもしろいと思うもの、これはやりたいと思うもの、大きな価値を生み出すものには前以上に積極的になっている。

これは年を取ったせいなのか、若返ったせいなのかはわからない。

とりあえず、わたしはシャンシャンと爆弾ハンバーグが食べたい。今も連れては行けるけど、じっと座ってはいないだろうから、もう少し大きくなってから。

シャンシャンはハンバーグが大好物なのである。