山を愛するひとはホントに聖者ッスか?

結月でございます。

結美堂山ガール部が奥日光の標高1827メートルの社山を目指すまで、約2週間。

6月に予定していたものが延期になったからだけれど、暑いを理由にまったくトレーニングをしていないわたしは軽くヤバい。

そのためアキバのオタク御用達のダンロップのウォーキングシューズも活躍しておらず、しかし、今年の酷暑ではウォーキングは普通に無理。

体力ゼロ、足腰軟弱な状態でぶっつけ本番となりそう。

トレッキングシューズはモンベル御徒町店ですでに買ってあって、山に登る前に必ず近所を散歩するなどして履き慣らしておくように店員さんに言われた。

なので、真夜中にでも近所の西友に歩いて行こうと思ってる。クルマを運転するようになってからは、西友までもV6エンジンで行っている。しかし、この季節は特にハイボール用の炭酸水を買うので、歩きじゃちょっと無理なんだけどね。

日本には山がたくさんある。とりあえずは奥日光の「男体山」を目指すわけだけれど、その近くにある日光白根山も登ってみたい。

山登りの醍醐味はおそらく山頂に登ってからの絶景にあると山登り素人のわたしは推測するわけで、それは自分の肉体を酷使してたどり着く感動であり、

「そこに山があるから、山に登る」

という気持ちはなんとなくわかる。

そして、結美堂山ガール部のそれ以上の楽しみは、下山後、温泉に入ってからのビール。まさしく、この一杯のためにここに来た!という飲んだくれぶりで結美堂山ガール部は、基本、お酒が飲めるひとをわたしがスカウトしている。

ところで男体山に登る理由は、わたしがそこに強烈な霊気を感じているからで、2015年に初めて奥日光に訪れて、そのバリバリ来る凄まじい霊気にすっかり虜になってしまった。

戦場ヶ原は神話で、奥日光と赤城山が蛇とムカデになって戦ったとされている。わたしはその神話を霊的に解明したいと思っていて、そのためには男体山に登らないと話にならない。同時に群馬にある赤城山にも登らなくてはならない。

さて、栃木を紹介するサイトを作るのにどういうやり方がいいかとのろのろと考えてる。

最初は栃木全般を扱うようにしようと思ったけれど、日光に主軸を置いたものにしたほうがいいと感じていて、メインは日光で、そこから栃木県内を枝分かれ的にリポートするやり方に傾いている。

というのは、さりげなく日光だけでもかなりのネタがあるからで、それに特化したほうがサイトとしてわかりやすい。

そこに季節を入れると同じスポットでもまるで風景が異なってくる。

真冬の日光にはまだ行ったことがないので、愛車をスタッドレスタイヤに履き替えて、雪のいろは坂を登るのもいいかもしれない。

しかし、奥日光の独特の霊気はどこを起因にしているのだろう?

火山は霊気の源であるけれど、先月行った北海道の摩周湖や阿寒湖はそれほど霊気はなかったし、戦場ヶ原と同じく湿原である釧路湿原もそこまで霊気は強くなかった。

奥日光は自然霊であるのはわかる。しかし、それは人霊に近いものがあって、どうしても神話的世界になるのはよく理解できる。

ともかく、わからないことだらけで、男体山に登れば何かがわかるかもしれない。

さて、社山は男体山の目の前であり、当然中禅寺湖も眺められる。

登山用の靴や服はモンベルで買ったものの、あとステッキとリュックを買わなくてはいけない。

ボケっとしていると、山登りの日になってしまう。

とにかく、軽量化して行くのがいいというのが奥日光の行きつけのホテルのマネージャーからのアドバイスだから、リュックは上野のアメ横にある怪しいカバン屋にある1080円の安物で行こうと思う。

そもそもリュックに入れるものなんて、水とおにぎりとタオルくらいで、あとはデジカメ。

ステッキは安物は使い勝手が悪そうだし、すぐに壊れそうなのでまともそうなものを買う。

ところで山ガール部でありながら、ありがちな山ルックが嫌なわたし。人と同じものが嫌。

だから、今回はちょっとスペシャルなものを用意した。大げさなものでないにせよ、人と同じなものを拒絶するクリエイティヴスピリッツを見せて、山ガール部員たちを驚かそうと思う。

そういえば、作家の開高健が、

「賢者は海を愛す。聖者は山を愛す」

って言ってたけど、同じようなファッションをして山登りに来ている定年後のオッサンやオバハンを見ていると、とてもじゃないけど、聖者には見えない。

悪いひとでもなく、いいひとでいようって感じで、会社を定年まで勤め上げて、第二の人生を模索していると自然にたどり着いちゃったって感じでノンポリ。

そんでもって決められたことには頑なだからお約束の山ルックを購入し、ガイドブックで調べ上げ、穏やかなようで決められたことから逸脱しようとするひとがいると、とっておきの正義感でキレやすい。

と、そんな結月的イメージなんですけど、どうッスか?

思うんだけど、開高健の「賢者は海を愛す。聖者は山を愛す」っていうのも感覚が古いっていうか、昭和のオヤジロマンティシズムだよね。

今はみんな頭が良くなっているから、賢者は海、聖者は山っていう単純すぎる二元論でこの世は収まらないことを知っている。

海が好きで釣りばかりしていて、釣り糸は海に捨てるわでマナーが悪いのもたくさんいるし、山を愛するものが聖者だったら、なんでエベレストや富士山がゴミの山なんだよ!?

というわけで、開高健の時代は、こういう単純化したものにロマンティシズムを注入してアフォリズムにしたら受けたんだよね。これは演歌的な世界だと思う。

開高健は男のダンディズムを追求したところがあるからね。いや、古いよ、ほんと。演歌だよ。

と、あれだけ好きだった開高健のことをこれだけディスられるのだから、わたしも成長したもんだっていうか、時代が変わった。

しかし、海を愛するものが賢者であれば、うん、これは言えてる。わたしは海が怖くて苦手だから、賢者じゃない。愚か者路線だからね。

う〜ん、でもさ、サーフィンとか真っ黒な肌でやっている男とかギャルって、やっぱ賢者には見えないんだよね。別に悪くはないけど、「賢者」っていうカテゴリーは違うと思う。

でもさ、賢者なんてこの世にいるの?

賢者に見られようとしているひとはいても、本物の賢者って何なんだろう?

いたとしても一緒に遊んでおもしろくはなさそうだよね。

愚かなほうが遊んでおもしろい。