「おばさん化」しない方法

結月でございます。

昔、「オバタリアン」という言葉が流行りましたが、言葉が廃れただけで女が「おばさん化」していくのは今も変わりがないようです。

おばさん化とはどういうもの?

「おばさん化」と一口で言っても、様々な要素があるのでたったひとつには集約できません。

しかしながら、大きな特徴としてまず第一に挙げられるのが、

「お局様」

というキーワードでしょう。

お局様はここでわざわざ説明しなくても認知されているので、皆さんの会社にいるお局様を見てもらえればいいです。

わたしが思うに、

「他人の悪口や不平不満、他人への文句、小言ばかり話しているひと」

という感じです。

そう考えると、何もこれは会社だけの話ではなく、電車の中でも中高年のグループがひたすら亭主への悪口を言いまくっているとか、それもわかりやすい「おばさん化」です。

さらに言えば、政治での野党はお局様的であると言えるし、市民運動でプラカードを持ちながら国会前で座り込みなどしているのも政府にとっては大変鬱陶しい限りのお局様と言えるかもしれない。

なぜ、おばさん化するのか?

若い人は当然若いからおばさんではなく、おばさん化はしません。おばさん化はおばさんの年頃になって始まる。具体的に言えば、早くで30代後半、40代だと要注意。

どうして若い頃は言わなかった不平不満や他人への文句が口から出るようになるのか?

それは中高年になってある程度の経験を積んだがゆえに、それ以上の成長を止めてしまっているから起きるのです。

会社のお局様。彼女たちの仕事ははっきり言って、大した仕事ではありません。会社で決められたことをこなすだけで、自分で何かを生み出すクリエイティヴではない。

となると、どんな人でもお局様になる年齢までしぶとくその会社に勤めていれば、その仕事の内容は完全にリーティン化されます。となると、その仕事に関してはよくできる、というか「ちゃんとこなす」ことができる。

そこに若い新入社員が来ると、まだルーティン化されていないその相手にもどかしさを感じ、嫌味ばかり言うようになります。

つまり、ひとつのことはマスターしているけれど、それ以上の成長がない淀んだ状態が「おばさん化」の土壌というわけです。

自分の経験だけで完成されたものがあり、さらなる発展がないと、エネルギーは代謝しないから、他人への悪口へ注がれることになります。

おばさん化したひとの言葉に説得力はない

電車の中や、せっかくランチをしようと集まったのに話題は亭主の悪口など、そういったひとたちを見て思うのは、言っていることは確かにその通りかもしれないけれど、聞くに堪え難いものがあります。

つまり、話はわからなくはないけれど、説得力がなく、愚痴にしか聞こえない。

それは誰かの悪口を言っているひとが、他人のことをとやかく言えるほど人格者にも見えないからでしょう。

いえ、人格者は悪口は言わない。

おばさん化したひとは、どうも「自分を棚に上げて」というところが目立つ気がします。

「そう言うお前は何なんだ?」

「ひとの悪口言えるほど、あんたに実績があるのか?」

とまあ、そんなことを思ってしまうわけですね。

おばさん化しない方法

おばさん化しない方法、というか、おばさん化しない「生き方」とはどういったものなのでしょうか?

わたしが思うに以下の二つです。

① 新しいことをやる

② それを無我夢中なほどに一生懸命やる

人間は自分にとって新しいこと、つまり未体験のことに取り組むとき、謙虚になり、そして好奇心旺盛になります。

自分が知らないことをやるのだから、自分にはない情報を取り入れようとします。自分にはない情報は未知の興奮があるから、無我夢中になる。無我夢中になると、一生懸命やる。

そんな状態のとき、人間は他人のことなど気にならないものです。

他人のことをとやかく言いたくなるのは、とどのつまり「暇だ」ということで、暇だから他人のアラばかり探して、何か言いたくなります。

お局様が小うるさいのも、ルーティン化された仕事をすでにマスターしてしまって「暇」だからです。もし新しいプロジェクトや仕事を任されたら、新入社員のことなど構ってられない。

つまり、日本の会社は勤続年数が長い女を「お局様」にさせるシステムになっていると言っていいでしょう。それくらい新しいことをやらせてもらえないし、要は誰でもできるような仕事しかさせてもらえていない。ルーティン化すればこなせる仕事内容というわけです。

電車の中でおばさんたちが集まって亭主の悪口を言っている。それは専業主婦以上のことをやっていないからです。世界がそれだけの広さしかない。

新しいことを始めよう!

会社の中で自分がお局様化してきたと思ったら、退職すべきだと思います。そして新しい環境に身をおいて、自分が知らないことに接して行く。

仕事でなく趣味でもいいのですが、やるなら本気でやることです。

暇だから何かやろうという姿勢では、自分は生まれ変わらない。三日坊主はメンタルの弱さであり、性格の怠慢です。

芥川賞などの文学賞の審査員をやっているのは、多くが文壇である程度の地位を築いた作家です。

経験は豊富だから、選評を読むと新人に対してなかなか手厳しいことを言っています。これはまさしく文壇のお局様であって、偉そうなことを言っているわりに自分がもう書けない状態であったり、書けても時代から遅れ、内容が古すぎて新しい読者を獲得できない作家であったりする。

他人が書いた小説なんかにとやかくいう暇があったら、自分が新しい作品を書けと思うのですが、そこは選考委員をやるといいギャラがもらえるので、浮き草家業である作家は定期収入として手放せないという事情がありますが…

停滞するな!

新しいことをやるということは、すなわち「停滞しない」ということです。

毎日、同じ電車に、同じ時刻に乗って、同じ会社に出勤し、同じ同僚と、ずっと同じ仕事をする。これは停滞の極致です。

そんな日々に終止符を打つことができないのであれば、それ以外に何か新しいことを本気で始めるのがいい。

他人のことが気にならないくらい無我夢中になれるもの。

人間は自分のエネルギーがマックスになっているときは、他人のことなど、本当に気になりません。

他人の悪口や愚痴を垂れる時間がもったいなく感じてしまいますから。

そして、自分が一生懸命であれば、他人への愚痴をこぼすひとと話す時間が無駄と思えるようになります。

「ごめん、あんたの愚痴、聞いている時間ないんで」

と、サッと言えるようになります。

それに停滞せず、新しいことをやっていると老けません。

そして、愚痴をこぼすと一気に老け顔になるので要注意です。

他人のことを気にしないくらい「自分」という主体で生きていきましょう。